日本全国で活躍する様々な分野のソーシャルワーカーたちの”魂”に迫るインタビュー企画。
第一弾は、都内某所のブックラウンジ”CROSS”にて、当団体の理事であり、さくらライフクリニックでPSWとして活躍されている金子充さんをお招きしてお話を伺いました。
都内のブックラウンジ”CROSS”にて
お仕事はなんですか?どのようなことをやっていますか?
訪問診療、訪問看護に特化した診療所に、精神保健福祉士として勤務しています。主として、精神科の患者さんを対象とした精神科訪問看護をやっています。ただ、精神科訪問看護という言葉は、医療保険の診療報酬上の用語です。私はソーシャルワーカーですので、やっていることの実質は、精神科の訪問型ソーシャルワークと言っていいと思います。
訪問は、2人で訪問する時と、1人で訪問する時があります。2人で訪問する時は、看護師と一緒に訪問する場合と、他の精神保健福祉士と一緒に訪問する場合があります。1日に6~8件のお宅を訪問し、病状の変化がないか、どのような生活をされているかを聞き取りします。
ポイントになるのが服薬状況の確認です。怠薬してしまう患者さんについては、その原因を見立て、どうすれば薬を飲めるようになるか患者さんと一緒に方法を考えていきます。
体重が増加している糖尿病の患者さんと一緒にダイエットのための体操をしたり、外出が苦手な患者さんと外出するトレーニングをしたり、レアケースですが、保清が必要な患者さんと銭湯に行き、一緒に入浴したこともあります。
家族がいらっしゃる場合は、家族も含めて情報のやり取りをし、家族が患者さんを支えやすい環境を作るような配慮をします。他の社会資源とつながりがある方の場合は、他機関と連絡を取り合ってネットワークを構築し、支援目標を共有していくようにしています。
患者さんが自分でできること、できないことを見極め、余計なお世話にならないような支援をすることを心がけています。あくまで患者さんの主訴を頼りに、今どんな支援が必要かを見立て、生活ニーズに沿った形で患者さんの生活をサポートしていくことが重要だと思っています。
なぜ、ソーシャルワーカーの仕事についたのですか?
精神保健福祉士の仕事を選んだ理由ですが、20代で大きな病気を経験しました。命をとられるほどの病気ではなかったのですが、20代で入院、手術、療養を3回経験しました。端的に言うと、自分のその経験を活かせるような仕事につきたいと思い、精神保健福祉士の資格を取りました。
20代での闘病体験は、当時はとても苦しかったですね。周囲の人達が就職、結婚とどんどん前に進んでいるのに、自分は周りの人とは全く違う次元の世界を生きている感じがしました。闘病経験を家族や友人に話すと全く話が噛み合わず、経験を分かち合える人がいないという強い孤独を感じました。この病気にさえならなかったらと何度思ったかわかりません。
ただ、今振り返ってみると、逆にその体験によって自分自身が強力に支えられてきたとも感じています。そして今でも自分を支える太い柱になってくれているのです。
2度目の入院で手術をした後、病院のベッドで横になり、麻酔で目が開けないため、目をつぶったまま家族の話を聞きました。家族から問題なく手術が終わったということを聞いた時、「自分は生かされたのだな。」ということを非常に強く感じました。何か強烈な感情がお腹の底から湧き上がってくる体験で、それまで生きてきて初めての経験でした。その時から自分の人生で、今につながる新しい何かが始まったような気がしています。その時の強烈な感情は、今では自分の中でどこか薄れてきてしまっていますが、その代わり自分の身体に同化し、自分を支え続けてくれているような気がしています。
ただ、今の仕事で、自分の闘病体験をそのままクライエントの人生に当てはめることはできません。自分の闘病体験を普遍化、概念化させていきながら、専門職としての価値、知識、技術を習得していく長い地道な努力が必要だと思います。
穏やかな語り口調で、聴き手にも安心感を与える方です。
今の仕事のやりがい/大変なことを教えてください
今の仕事のやりがいですが、自分がやりたいと思っていたソーシャルワーク業務ができるのは楽しいですね。ソーシャルワーカーをやっている人の中には、ソーシャルワークとは言えないような雑務を多く抱えている方もいらっしゃるようです。十分にクライエントと向き合えないというお話を聞くことがあります。今の職場では、車で地域を走り回ってアウトリーチし、地域の資源をつなげてクライエントのために役立てるというソーシャルワーク業務に集中することができます。
また、精神科訪問看護は、日本ではまだ歴史が浅いです。その内容について、まだまだ色々な工夫ができると思います。そういった意味で、新しい実践のあり方を考えながら仕事ができるという創造の喜びがありますね。
大変なことは、日本の精神科医療には、歴史的・構造的な問題が存在しているにも関わらず、その問題を解決していくだけの社会の体制がまだ整っていないということです。
日本は戦後、精神病を患った人達の隔離収容政策を進めました。1987年にようやく社会復帰について法律に明記されましたが、隔離収容政策の過程で、社会の中に精神病に対する強い偏見が生まれてしまいました。そして長い間、民間の精神科病院による入院中心の医療が進められてきた結果、病院を退院して地域で普通に生活するという構想が現場レベルでなかなか思うように進まないのです。精神科医療・福祉に関わる人達は、日本の精神科医療の古い構造的問題という負の遺産を清算していく必要があるのです。
数年前、ある歌で、「優しさじゃ何も救えない。飲まれていく矛盾の世界。」という歌詞を聞いたことがあるのですが、社会の複雑な問題の中に自分が飲み込まれていて、どうにもならないと感じることが時々あります。
また、精神障害者が初めて福祉の対象となったのも遅く、1993年のことです。そのため、精神障害者を支援する福祉業界も成熟しているとは言えません。医療と比べて国の予算規模ははるかに小さく、現場で働く職員の方達は、今ある資源を必死でやり繰りして奮闘して下さっています。精神障害者が地域で安心して暮らしていくためには、この福祉業界を支えていく新しい力が必要だと思います。
大切にしている価値観について教えてください。
平成25年11月16日に、SCAのイベントで発表させていただいたことがあるのですが、私は「贈与と返礼」という言葉が持っている価値観、可能性を信じています。
発表の内容を簡単に説明させていただきますと、人類が太古から社会で行ってきた交換というプロセスを「等価交換」と「贈与と返礼」に大きく2つに分け、通常のビジネスは「等価交換」を中心に展開されるのに対し、医療・福祉の仕事は、根底に「贈与と返礼」という価値観が息づいているのであり、それが医療・福祉の仕事の本質であるということを発表させていただきました。「贈与」とは、人が他者、社会に対してお金、物、サービス等を、見返りを期待せずに提供するということです。また、「贈与」は、親が子供に提供する愛情に近い性質を持っています。他者や社会に「贈与」をし続けると、それが長い時間を経て、「返礼」として自分のところに返ってくるのです。
例えば、誠実な仕事をするため、ある仕事に人より時間をかけるとか、組織を維持・発展させるための仕事に、報酬なしで自分の時間を使うという場合、何か自分が損をしているという気持ちになることがありますが、それを組織や社会への「贈与」だと考えると、気持ちがずいぶん楽になります。私の経験則ですが、その贈与分はある程度の時間を経て、必ず自分のところに返ってきます。返ってくる形はお金とは限りません。「返礼」は、思いがけない時に思いがけない形で返ってくるのです。
「贈与と返礼」は、何でもかんでもお金を基準にして測られてしまう現代の日本社会で忘れ去られつつある概念ですが、実は多くの人が「贈与と返礼」的な価値観を実感として持っているのではないかと思います。私はこの概念が、今後の日本社会を持続させていくキー概念であるという確信を持つようになりました。
発表内容は、平川克美さんという会社経営者兼文筆家の著作を引用、参考にさせていただきました。私は20代の闘病を経て、ソーシャルワーカーという仕事につくことはできましたが、初期の職場は労働条件があまり良いとは言えませんでした。私は、今の仕事をしながら心の中で、お金で買えない何か、金銭的価値で測れない価値観を必死で探してきたように思います。そんな時に平川克美さんの著作に出会い、「贈与と返礼」という言葉に出会いました。社会に出てからの私にとって、自分自身を支えてくれる屋台骨になる価値観との出会いでした。
語りに熱が入ってきました。
理想とする職業人像を教えてください.
ソビエト連邦のスパイだった、リヒャルト・ゾルゲを尊敬しています。ゾルゲは、1933年頃から日本でゾルゲ諜報網を組織して諜報活動を行い、1941年に日本の特別高等警察(昔の日本の秘密警察)に逮捕され、1944年に処刑されました。
私は中学生くらいの時に何かの本でゾルゲの存在を知りました。ゾルゲのエピソードとしては、日本での諜報活動をするにあたって、日本がどのような国なのか知るために、古事記、万葉集を始め、日本に関する書物を数百冊読んだという話があります。また、日本の政府中枢の機密情報を入手することができる独自の情報ネットワークを作りました。日本に関する豊富な知識と、人的ネットワークから得られる情報を総合的に分析し、日本がソビエト領には侵攻せずに南進するという貴重な情報をクレムリンに伝えました。当時、ドイツの電撃的な侵攻に苦しんでいたソビエトは、日本の侵攻に備えて極東に配備していた精鋭部隊をドイツ戦線に回すことができ、そのことがソビエトの勝利につながったと言われています。
ゾルゲは、人間、組織、国家に対する鋭い洞察力を持ちながら、地味で目立たない仕事を着実にこなし、そこから重要な見解を導き出し、歴史を大きく動かしました。そのエピソードを聞くと、スパイとしてというより、人間としてのスケールの大きさを感じます。
SCAに参画した理由を教えてください。
私がSCAに参画したのは、現SCA代表の横山さんが提示してくれた「ソーシャルワークの言語化」というコンセプトを通してのことです。
私は、横山さんが書いたブログが好きで、よく読ませていただいていました。そして、横山さんが持っているソーシャルワークに対する情熱や問題意識にとても共感していました。平成24年5月に、横山さんが「ソーシャルワークを語る会」という勉強会を始められ、参加者を募っていたため、思い切って参加しました。それまで、勉強会等にはあまり参加したことがなかったのですが、この会でソーシャルワークのことを語ることが本当に面白かったため、継続的に参加させていただき、「ソーシャルワークを語る会」は、1年数ヶ月継続しました。
ある時、横山さんから任意団体を作りたいというお話があり、平成25年11月にSCA最初のイベントを開催することになったのです。正直に申しますと、場の流れに乗っていたら、いつの間にか参画していたという感じです。当初は、少人数の勉強会に参加しているという認識しかなかったわけで、今の状況は、2年前には全く想像もしていませんでした。
横山さんの「ソーシャルワークを語る会」では、ソーシャルワークを言語化していくことの大切さを学びました。今では、現場実践を一般化し、自分の言葉で記述していくということは実践家にとって必須なのではないかと思うようになりました。しかし、今の社会福祉の現場で、そのことを強調している人は横山さん以外にあまりいないのが残念です。今後、ソーシャルワーカーという職種が世間に認知されていくためにも、言語化というトレーニング方法はもっと世の中に広まっていくべきであると思います。私もSCAの活動をしながら、その効果や面白さを多くの人に伝えていけたらと思っています。
未来のソーシャルワーカーたちに向けて一言お願いします。
アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が、2005年にスタンフォード大学の卒業式の演説で、「ドグマに囚われてはいけない。何よりも大切なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。」というようなことをお話されていたと思います。この演説は、ユーチューブの動画もあります。
私もこのことは本当に大切なことだと思います。常識や既成概念といったものを疑い、社会にとって本当に必要なものは何かということを自分の頭で考えて下さい。そして自分の心と直感を信じ、自分の人生を歩んで下さい。
お薦めの本をお持ち頂きました。
『エコロジカルソーシャルワーク―カレル・ジャーメイン名論文集』著:カレル・ジャーメイン
「生活モデル」という概念を世に広めたカレル・ジャーメイン先生が書かれた論文集です。訳者の小島先生が「生活モデル」の考え方を日本に紹介するべく、ジャーメイン先生の有名な論文を集めて翻訳・出版されました。初版が1992年と結構古く、内容はやや抽象的ですが、ソーシャルワークの機能を色々な概念を用いて見事に説明しています。
現場で何年か働いてから読むと、「そうだよ。確かにそうだよ。」とうなずくことが多く、現場実践の基礎として理論を学ぶことがいかに大切かということを実感できます。他の職種から、「ソーシャルワークって何?あなた達のやっていることってよくわからないね。」などと言われた時、この本を読んでいると即座に説明できると思います。「私には理論なんか必要ないぜ。」と思っている方にぜひ読んでいただきたいです。
ちなみに、ジャーメイン先生は1995年に亡くなっていますが、先生の代表的理論書、「The Life Model of Social Work Practice」は第3版まで出版されています。ただ、まだ日本語に訳されていません。英語の得意な方、ぜひ訳して出版して下さい。よろしくお願いいたします。
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終始穏やかな口調で、金子さんご自身のライフストーリー、ソーシャルワーカーとしての援助観を語って頂き、金子さんのスピリットを感じた1時間でした。
金子さん、お忙しい中、どうもありがとうございました!
ソーシャルワーカーズ・スピリット〜私がソーシャルワーカーになったわけ〜では、不定期で、インタビュー内容をテキストで配信していきます。今後も多様な実践現場のソーシャルワーカーの”スピリット”を感じるインタビューを配信していきますので、ぜひ楽しみにしていてください!