【連載】『同じ空の下にいる-特別編-』MIKO【ソーシャルワークタイムズ掲載記事】

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みなさま、こんにちは!mikoです。

 
さて今回は、映画「風は生きよという」を皆さんにご紹介します(公式ホームページ→
http://kazewaikiyotoiu.jp/)。
『呼吸器から吹く風に乗り、つながりあう人と人との物語。もしもあなたが、病気や障害のために身体を動かせなくなったとしたら、どんな人生を想像しますか?

 
映画が映し出したのは、ふつうの街でふつうの生活を送る人びと。
特別なことといえば、呼吸するための道具・人工呼吸器を使用していることくらい。(公
式ホームページより)』。
 
この映画は全国自立生活センター協議会が企画・製作した作品で、昨夏からこれまで全国各地で自主上映されてきました。そしてこの7月から渋谷アップリンクで劇場公開され
ることとなりました。
 
実はこの映画に、私の友人が出演しているのです。その友人とのエピソードを少し書きたいと思います。
 
A君とは大学の同級生だった。彼は電動車いすを使っていて、後に、彼も難病患者であると知った。
私は彼と同じサークルで、皆で飲みに行ったり旅行したり、色々な思い出がある。だが、互いの病気について話したことは一度もなかった。
 
卒業後、彼は一人暮らしを始め、同期の友人をアパートに招いてくれた(私は行けなかった)。仕事では、当事者のネットワーク作りや講演等様々な活動を行い、各地に足を運んでいたが、体調を崩すこともあったようだった。
 
一方私は悩んでいた。
就職して7年。安定しない体調と付き合いながら、なんとか仕事を続けていた。途中、持病が再燃し休職したこともあったし、アパートで急に具合が悪くなり倒れたこともあった。
 
仕事の量・内容と自分の体力とのバランスが取れていなかった。その反動で、休みの日は体が動かなくて横になっていることが多かった。
 
痛い。漬物石(注:私は自称「難病漬物女」…詳しくは過去記事を!)が体中に乗っかっているんじゃないか、という痛み。そして、言葉では言い表せないような倦怠感。
座っていることが出来ないから横になるしかない。ベッドに潜り込んで目を閉じる。そしていつも、心の中で自問自答していた。
 
「もう無理なんじゃないか?」
「病気のある体で、この先も一人暮らしを続けていくなんて無謀じゃないか?続けていくことに何の意味があるんだろう?」
「実家に帰って、地元で仕事を探そうか。でもこの体で就職出来る所なんてあるのだろうか…」。
体のこと、経済面のこと、将来のこと…静まり返った誰もいない部屋の中にいると、考え出し止まらなくなる。そして最終的に私は、いつまでたっても抜け出せないでいる「病気になった私が悪いんだ」という結論に逃げ、思考停止に陥っていた。
 
ある時ふと「A君に会いたいなあ」と思った。
会う機会は減ってしまっていたが、私は彼のことを勝手に「同志」と思っていた。
彼は、今の生活を続けられない、と思ったことはないのだろうか?不安になったことはないのだろうか?会って話したい。
 
 
私は彼に「相談したいことがある」とメールした。彼も応じてくれ会うことになったが…2回延期になった。1回は私の体調不良。もう1回は彼の体調不良。
 
そのまま話が無くなってしまってもおかしくなかったが、私はどうしても会いたかった。
 
「ここで目を反らしたら、一生逃げ続けることになる」と思っていた。
 
そしてようやく、私が最初のメールをしてからちょうど5か月後、彼と会うことになった。
 
 
 
「またね」という言葉が苦手だ。…と言いつつ、私自身も無意識に使ってしまうのだが。「またね」と言って別れた後、その不確かさに時々不安になってしまう。
 
あの頃は、分かっていたつもりで分かっていなかった。二度と会えない「またね」があることを、私は知った。
 
会いたいとメールを送ってから5ヶ月後、ようやく会えた彼は、(随分前からだが)24時間介助者が付き添っている状態だった。
 
彼お勧めのお店に案内してもらう。私はひどく緊張していた。これから私が話すことは、私自身が生きることの根幹に関わる話だ。誰も知らない自分の抱える不安。それを言葉にし自分以外の人に認識されることで、その不安が確かに存在する、と証明されるようで怖
かった。
 
私の様子を見て何かを察してくれたのか、彼から「ところで、何か相談したいことがあるって言ってたよね?」と声をかけてくれた。
 
私は意を決し話した。今の生活を続けることを諦めようか悩んでいる。仕事は好きで配慮もしてもらっているが、それでも体調との兼ね合いがつかない。公的サービスは対象外。先が見えなくて、心身共に限界に近い。
 
私が話し終わった後、彼は、一人暮らしを続けるための具体的なアドバイスや、彼が自分の生活を続けるために起こした行動について話してくれた。それは生活者として当然の権利を獲得するための命を懸けた行動だった。
 
そして彼は私に、こう言った。
「色々悩むことが多くて、色んなことを考えちゃうけどさ、でも答えはきっとシンプルなんだよ」。
その言葉を聞いて、不安で見えなくなっていた「本当の気持ち」が、霧が晴れたかのように私の目の前に現れた。
 
ああ、私は今の生活を続けたいんだ。不安や悩みが複雑に絡み合って、それらに押しつぶされそうになって「自分がどうしたいのか」がよく見えなくなるけど。「今の生活を続けたい」。それが、自分の本当の気持ちなんだ。
 
彼の一言で、私は、心の奥底に閉じ込めようとしていた「本当の気持ち」を認めることが出来た。
 
その後は学生時代の思い出話に花が咲いた。お店の料理もとても美味しく、店員さんの接客も素晴らしく、素敵な時間を過ごすことが出来た。
 
彼と別れた後、改めてお礼のメールを送った。彼からも返事が来て、最後に「では、またね!」と書いてあった。
 
当然、また会えると思っていた。私は彼に「一人暮らし、色々あるけど順調だよ!」と笑顔で伝えたい、お互いの近況を話したいと思っていた。
 
「また」は思いもかけない形で、突然やってきた。 
約2か月後、彼は天国へと旅立ってしまった。
 
あまりに突然の別れだった。私は全く受け入れられなかった。
 
だってこの前会ったばかりじゃない。
「またね」って言ってたじゃない。どうして…?
 
 
数日後、私は友人と共に、彼との最期のお別れに向かった。とても暑い日で、空はどこまでも青くて高かった。私は暑さと緊張で気が遠くなりそうだった。
 
彼とのお別れにはたくさんの人が訪れていた。彼のお母さんが迎えてくれ、私は彼と対面した。
 
 
彼は、優しく微笑んでいるような表情を浮かべて横になっていた。眠っているようだった。何か楽しい夢を見ていて、目が覚めて「あれ~どうしたの?」と、いつもの調子で話しだすんじゃないか。そう思えるほど、自然な優しいお顔だった。
 
 
私は泣きながら、彼のお母さんに話していた。
 
私自身も難病患者で、今の生活を続けようか悩んでいた。でも彼に会い、彼の言葉のおかげで続けていこうと思えた。本当に感謝している、と。
 
伝えたかったのだ。私の一方的な思いかもしれないが。
彼が私に生きる勇気をくれたことを。彼の言葉が今も私の中に響いていることを。
 
お母さんは泣いていた。私も泣いた。
その後ご出棺にも立ち会わせて頂き、彼の旅立ちを見送った。空の青が、彼を優しく出迎えてくれているようだった。
 
 
あれから数年の月日が経った。私は今も仕事を続け、一人暮らしをしている。くじけそうになったことはあの後も何回もある。
正直、今も困難にぶつかっている。でもそんな時、彼が私に残してくれた言葉を思い出し、自分の「本当の気持ち」を確かめている。
 
彼はこの世からはいなくなってしまったけど、彼の生きた証は多くの人達の中に残っていて、彼はその人達の中で生き続けている。そして私は(自分で勝手にそう思っているだけだが)、難病のあるこの体で生きていく」というバトンを彼からもらったような気がするので 、悩み、迷い、笑い、楽しみながら、これからも生きていこうと思う。
 
 
ありがとう。また、会おうね。
 
 
 
さて改めて…A君が出演している映画「風は生きよという」をご紹介します(公式ホームページ→http://kazewaikiyotoiu.jp/)。
 
 
この世界には色々な人がいて、笑い、喜び、悲しみ、悩みながら日々生きている。そのことは、病気や障害の種類・有無に関係ない共通のことだと思います。

以下のとおり、上映会を開催いたします。
皆様のお申込みをお待ちしています。

日時:平成28年11月27日(日)14:00~16:30(開場13:30)
会場:かふぇ&ほーる with遊(JR荻窪駅より徒歩8分)
料金:2,000円(収益は全額「呼ネット」さんへ寄付します)
定員:25名

 

【お申込みはこちらから】

 
 
 
:ライター・プロフィール:
”miko”
PSWをしています。
2つの難病を経験中。
働くこと、難病を取り巻く現状のこと、その他日々感じたこと等、ゆっくりですが綴っていきたいと思います。